【前編】ITエンジニア人材の育成とサステナブルなモデルを創る、DIVE INTO CODEのCEO野呂浩良氏のインタビュー
【今回のインタビュー】
代表取締役 Founder CEO
野呂浩良氏
MBAエンジニア講師。リクルートやワークスアプリケーションズなど異業種・異職種への転職を4度経験。29歳未経験からワークスアプリケーションズの問題解決能力発掘プログラムを突破し、「何でも考え抜けば実現できる思考」が開眼。独立・起業過程でエンジニア人材の不足を痛感し、プロのエンジニアになるために挑戦する人が、チャンスをつかめる「DIVE INTO CODE」を2015年に創業。グロービス経営大学院MBA(経営学修士)修了。
DIVE INTO CODE
URL:https://diveintocode.jp/
今回、ITエンジニア育成プログラミングスクールを運営されている株式会社DIVE INTO CODEの代表取締役CEO野呂浩良氏に、つなぐIP編集部より、起業された経緯や事業への想い、知的財産に関することなどをインタビューさせて頂きました。
前編では、フリーランスから起業をされた経緯や事業への想いを中心に、知的財産に関することもお伺いしましたので、ご紹介します。
-まず初めに、起業された経緯を教えていただけますか?
はい、もともと自分はある時から12年間一日も休むことなくあらゆる時間を計り続けていましたので、個人で時間を記録したり管理するアプリを作ったりするセミナーをやろうと思っていました。ただ、2013年当時に感じたのは、それは再現性がないということでした。というのも、同じやり方を100人に伝えても1人しか再現できず、99%の人は続けられなかったのです。
私はその後、2014年4月にフリーランスになりましたが、当時はどういったビジネスをするかは決まっていませんでした。ただ、自分が心からやりたい事業をやろうと心に決めていました。半年ぐらいかけてビジネスアイデアを出し、結果としては300個ほど出せました。起業準備中の仲間を集めて毎週のようにブレストをして、ビジネスアイデアを300個から3個に絞り込みましたね。その3個をビジネスとして立ち上げられないかとアイデアソンに行ったりもしました。
ただ、ビジネス候補は3つに絞ったのですが、どれも心がついてこなかったですね。自分でなくてもできるビジネスアイデアでしたし、自分のやる気持ちが乗らないので、当時から本気で取り組むことは難しいと思っていました。結局3個に絞ったビジネスアイデアは、どれも事業としては始めませんでしたね。
そのようなこともあって気付いたのが、「自分の時間を計る」とか、過去の再現性の低いやり方や過去にこだわることではなく、未来に希望をもってチャレンジして、かつ再現性が高いやり方など未来にフォーカスして行動していくことが大事だと。そして、直接その顧客の変化を見ることができ、直接影響を与えられる仕事をしたいと思いました。それだったら本気で出来ると思いましたね。そこで、結果的に行きついたのが、現在のプログラミング教育です。
-過去ではなく未来に目を向けられたのですね。2016年4月に社名をタイムシフトからDIVEINTOCODEへ変更されていますが、どのような想いからでしょうか?
2015年4月にタイムシフトという社名で起業しましたが、12年間計り続けていた時間の管理は、やめられないサンクコストでもありました。自分自身は時間を管理することが自然になっていましたのでごく自然に出来ていましたが、一般の人との差など難しさがわからなくなっていたのです。
また、時間の管理というのは、クリエイティブな思考にならずルーティンになってしまい、「いかに早く効率的に」といった思考になってしまいます。無駄なことへのチャレンジをしなくなってしまうのですね。
それでは新しいものが生み出せないという気持ちや、再現性の低い時間の管理を止めようとの想いから、2016年4月に現在のDIVE INTO CODEという社名に変更をしました。
-ある意味過去への決別ですね。DIVE INTO CODEにはどのような意味が込められているのでしょうか?
2015年の時点で決まっていたのですが、言葉の意味とキャラクターとストーリーが合わさっています。
言葉の意味は、片道切符です。「CODEの世界に本気で飛び込む、前のめりにDIVEしていく」という意味ですね。
キャラクターとストーリーは、勇敢な青年DIVE君が、未来の希望の惑星CODEを目指す物語です。
(物語の小冊子を見せながら)ストーリーでは、最初青年DIVE君が今後のキャリアを悩んだりするのですが、意を決してこのままでは未来がないと、CODE星への冒険に飛び込んでいきます。仲間と一緒になってプログラミングの世界で戦っていく中で、悶々と自分のキャリアを考えるのです。その上で、「自分はこうしよう!」と決めてからも悩み苦しみますが、決意してそれぞれの星たちに飛び立っていきます。最後は仲間がバラバラになるのですが、未来で生き生きとしている、といった物語です。
(ストーリーの一部を抜粋)
-ストーリーまであるのは珍しいですね。そのDIVE INTO CODEを商標登録されていますが、きっかけは何だったのでしょうか?
当時、サービス名を商標登録しているのか人に聞かれて、意識をし始めたと思います。社名を変更する時だったと思いますが、「商標登録しておかないと第三者に模倣されたら何にもならないよ」と言われて、その時に「あぁ、確かにそうかもしれない」と思った記憶があります。
また、もう一つのきっかけになったのは、ドメインの取得がありますね。ドメインを取る時に、「こういうドメインはもう他に取られているな」とか思いますよね。そうすると、名前を決めたら同じように商標登録をしておかないとまずいなと思うようになりましたね。
-そのようなきっかけだったのですね。起業についてお伺いしたいのですが、何に苦労をされましたか?
正直に言ってお金ですね。業態的なこともあるかと思いますが、物には困らなかったです。よく、人・物・金と言いますけど、苦労した順番的には、お金・人・物ですね。
お金に関しては、2014年にフリーランスとなってから、初めは受講生が来てくれて楽しかったのですが、回ってくるとお金が増えずにむしろ減っていきました。その時に価格設定が適正な価格でないとわかりましたので、価格設定を見直しました。そこで、この業態での価格が結果としてわかりましたね。スクール事業を0から始めたので、要領を得なかったのかなと今振り返ると思います。
人に関しては、1人では回らなくなってきたため人を増やすことにしましたが、当時はお金の面からもすぐに正社員を雇用することは厳しかったです。当初はやって欲しいことを手伝ってもらうために、モニターを募りました。モニターをしてくれる方には、「テキストの修正や意見をしてもらう代わりに、私がプログラミングを教えるので学べます」といった形で。毎週セミナーなどをしていくうちにモニターの方が増えてきて、その中の一部の方がアルバイトになってくれて、またその中から正社員が生まれました。そのように段階的にやってきましたね。
-試行錯誤されてきたのですね。プログラミングスクールを事業とされたのはなぜですか?
はい、それには理由が2つあります。
1つ目は、ビジネス層とエンジニア層の溝が大きくあり、お互いがマッチングしたり出会ったりする場を大事にしたいと思ったからです。
2014年にフリーランスになった当時、事業を3個に絞り込もうとした際、どのビジネスアイデアもシステムを作る必要がありました。エンジニアが近くにいれば一緒にチームで気楽にできますが、ビジネスを考える自分たちの集団の中にエンジニアがいませんでした。
そこで、エンジニアの人たちと出会うため、スタートアップウィークエンドや、アイデアソン、ハッカソンなどに行きました。ただ、ビジネスよりも技術が好きなエンジニアの人であったり、そもそもエンジニアがいなかったり、起業家と一緒にリスクをとって取り組むほどの前のめりなエンジニアの人がいませんでした。そこで、ビジネス層とエンジニア層が全然繋がっていないなと思いましたね。
周りのビジネス層の人を見渡しても、エンジニアがいないから何もしないという人が多かったです。「だったら自分でやってみればいい」と思い、Ruby on Railsなどをキャッチアップして、セミナーを開催し始めたのが2014年終わりの頃です。
2つ目は、経歴が関係してくるのですが、「なぜ自分がやるのか」ということです。
ワークスアプリケーションズという会社にいた際、29歳未経験から飛び込んだ鬼のような研修に生き残ったのが、自分のルーツだと思っています。他の人にはあまり一般的ではない経験だと思いますが、その研修ではインターネットに繋がれていない環境で、プログラミングを全部自分で考えて習得しました。当時そういった体験をしていることが、「なぜ自分がやるのか」に根差していますね。
未経験から研修を突破した先にある根拠のない自信が身に付く体験。それがすごい価値であると。当時はそういう想いでしたね。自分がやらなければプロのエンジニアの方がやるのかといったら、誰もやっていない。「俺がやらねば誰がやる?」と奮い立ちました。
自分は、未来に対してその人の価値を上げられるような、それで人生が変われそうなきっかけとなるようなものを作りたいという想いで、今の事業をやっています。
編集部からのコメント
今回は前編として、DIVE INTO CODEのCEO野呂 浩良氏に、つなぐIP編集部より、フリーランスから起業された経緯や事業への想いなどについてのインタビュー記事でした。
起業をするにあたり過去への執着を捨て、未来に向けてチャレンジする転換点があり、それを決意できたことが、今に繋がっています。様々な苦労もあったようですが、自身の経験から現在の事業に結びついていますし、お話を聞いていて、とても熱意が伝わってきました。商標もしっかり抑えていて、知的財産に関しても意識をされています。
近日公開予定の後編では、地方およびアフリカへの事業展開や、今後の目標などについてのインタビューをご紹介します。